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詣り墓へ向かう道 イラスト:高木良子/線画(AIベースをIllustratorで人力修正)+塗り(Photoshopで手作業)
みなさん、こんにちは。
「弔いとテクノロジー」の研究をしています、高木良子(たかぎりょうこ)と申します。
このたび、theLetterという新しい場所をお借りして、ニュースレター『弔いのフィールドノート』をスタートすることにしました。最初の記事となる今回は、なぜ私が今のタイミングでこの手紙を書き始めることにしたのか、少しだけお話しさせてください。
■ 描くことから、研究の世界へ
私は現在、大学で社会人博士をしながら、研究員や非常勤講師などを細々とやらせていただきつつ、研究の世界をただよう日々を送っています。ただ、それはせいぜいこの10年弱のことで、もともとこの世界の住人だったわけではないんです。
実は、30代の頃の私は、コミックエッセイという形式(コマ割りをして絵を描き、文章も書くという、絵日記の延長のような素朴な形です)で、自身の体験を通した日々の気づきや社会への眼差しを描く人でした。何かを主張したいというよりは、ただ自身の目で観たものを別の形で表現するのが楽しかった。そのうち、書籍の出版や新聞連載などを通じて発信するようになると、自分の描いたものが誰かに届く喜びも厳しさも感じるようになっていきました。
ただ、ある時点から、私の中にはずっと「書けない」テーマが生まれてしまいました。
33歳のとき。父の「死」を経験したときからでした。
この時のことをなんとか絞り出そうとして、ラフまで描いた(殴り書きですが今も手元に残っています)ものがありますが、どうしても、どう足掻いてみてもその先が書けず(「書けない」というのは面白いもので、書いては消しとか、書いては破き、なんてものじゃない。本当にラフ以降は、1文字も1ミリの線も手が動かないのです)。その後何年かは別のものを書きながらも、私の奥底には澱のようにじっと、重く動かない何かが沈殿していきました。
こう書くと「社会人院生としての学びはご自身のためのグリーフワークだったのですね」なんて言われてしまうのです(そう見えるのかもしれないし、結果そうなのかもしれない)。でも、私の投げかけた「死別への問い」に真剣に答えてくださったインタビュー相手のご遺族たちの顔を思い浮かべたら、口が裂けても私の口から、自分のグリーフワークになっただなんて言えるはずがないのです。
さらっと書くつもりだったのに、長くなってしまった。

読売新聞朝刊連載「たかぎりょうこの大好奇心」最終回(2018)より。死生学について書いた回。 この頃インドネシアのトラジャ族のある村長の家に滞在していたときに考えた話です。たった8年前の原稿ですが、今考えていることの「位相」の違いに、我ながら若干冷や汗というか、恥ずかしさもあります。けれど「ライフワークとしてやっていく」とここで書いた決意は変わっていません。
そうして約8年前、私は表現活動を一度横に置き、アカデミアという全く異なる世界へと飛び込みました。
■ 「一次情報」が届かないもどかしさ
学術の世界にはいってから、現在は「生成AI」の技術を使って死者の姿や声を再構築する「AI故人」と向き合うご遺族の声や、台湾の終末期スピリチュアルケアの現場、あるいは土葬や有機還元葬など、国内外の様々なフィールドを歩き回っています。
現場にとにかくまず「居て」、当事者たちが何げなく、あるいは思わずこぼした言葉をそっと「拾って」、フィールドノートに書き留め、大切に大切に心に包んで持ち帰る。それを何度も繰り返す中で、査読付き論文という形で厳密な「知のストック」として積み上げていく。それは現場での痛みや自身の内での煩悶を伴いながらも、非常に重要でやりがいのある仕事です。
しかし、研究を深めれば深めるほど、新たなもどかしさも生まれてきました。
学術論文の言葉は、その厳密さゆえに、どうしても専門家の壁の中に留まりがちです。世間では「AIで死者を蘇らせるのは倫理的にどうなのか」といった議論が、猛スピードで消費されていきます。現場に足を運んで丁寧に書かれた新聞記事でさえ、その流れのなかで消費されてしまう。
なぜそうなるのか。死をめぐる話題は、なぜこれほど速くインパクトを持って語られ、また速く忘れられていくのか。そのこと自体にも、私は強い関心をもっています。私たちが現場で受け取った決定的な「ズレ」や、新しい弔いの形から思いがけずこぼれた「希望」が社会の議論にはうまく届いていない。
そんな状況を目の当たりにし、「私が現場で見てきた一次情報を(もちろん厳格な倫理的基準に沿った上で)、もっと早く、直接的に、必要としている人たちへ届けたい」と強く思うようになりました。
■ 静かに深く考えるための「手紙」
今の時代、SNSのタイムラインには、毎日たくさんの情報が濁流のように流れていきます。
でも、「弔い」や「死生観」といったテーマは、喧騒から少し離れ、立ち止まってゆっくりと思考を巡らせる静かな時間の中でこそ、見えてくるものがあるはずです。
theLetterは、読者の皆さんのメールボックスに直接届く、とてもプライベートな空間です。
ここでなら、学術的な論考の深さを保ちながらも、一人の人間としての体温を、そのまま「手紙」としてお届けできるのではないかと考えました。
これからの配信では、以下のような内容を月に1回程度のペースでゆっくりとお届けしていく予定です。
📖【論考】
AI故人、遺人形、土葬、台湾の終末期ケアなど、調査にもとづいて深く掘りさげる考察
🔎【ニュース解説】
弔いとテクノロジーをめぐる最新の動きを、現場を知る研究者の目で読み解くコメント
🚶【フィールドノート】
現場で出会った人や風景、そこで立ちどまった私自身の迷いを書くエッセイ
📰【欄外の話】
新聞や雑誌、Webメディアでの寄稿やコメントのあとに、紙面で言いきれなかったこと、書ききれなかったことを補う記事
論文の言葉と、私自身の言葉。その両方で書いていきます。
とくにフィールドノートでは、すぐに答えに結びつくような話はあまり書けないと思います。むしろ、まだ答えの出ない問いを、問いのまま手渡すことになるかもしれません。
変わりゆく生と死の境界線で、私たちはどう死者と繋がり、どういった形で「弔い」という営みを続けていくのか。
正解のないこの問いを、現場の息遣いとともに探求する旅に、どうか皆さんもご一緒していただければうれしいです。
これから、どうぞよろしくお願いいたします。
高木 良子
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『弔いのフィールドノート』は、国内外の現場から、看取りから死後までを射程とした論考、弔いとテクノロジーをめぐる最新の動きの解説、フィールドワークを綴るエッセイ、そして寄稿や取材コメントの続きを書く「欄外の話」を、月に一度メールでお届けします。創刊号は2026年10月末の予定です。今後は、ご登録いただいた方だけが読める記事も増やしていく予定です(登録無料です)。よろしければ、今のうちにご登録いただけるとうれしいです。
This newsletter is written in Japanese.
Selected research essays include a short English summary at the end.For inquiries in English: https://research.takagiryoko.com/#form
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